双極性障害と診断されるまで

教師という小さい頃からの夢が叶い、故郷の新潟から遠く離れた大阪府へ。期待と不安を胸に。いや、楽しみな気持ちが一番大きかった。教員採用試験の保健体育の採用枠は他教科と比べ、かなり狭かった事もあり、合格した時は正直信じられなかった。5年間も受検し続けての採用通知。嬉しかった。

毎日が充実していた。


しかし、忙しくも充実した日々は半年も続かなかった。採用されてからの初めての夏休み。バスケットボール部の顧問として、大好きなバスケットが思う存分できるとワクワクしていた。休みに入って数日後、心身に異変が起きる。楽しくない…。今までの楽しみだった子ども達とのたわいもない会話、一緒に練習に参加し、汗を流す事で感じる充実感や達成感。それらの感情が欠落したかのように、何も感じなくなった。数日間、アパートで身体を休めたが変わらなかった。

私はうつ病には理解があったので、おそらくそうだろうと心療内科を受診した。診断はやはり抑うつ状態…。抗うつ薬が処方された。
薬を飲みながら、少しずつ元気になると信じ、部活動で体を動かす事もほどほどにし、回復を待った。
気づいたら長い夏休みは終わっていた…

それから地獄の日々が始まった。
夏休みと違い、休めない。

何も感じない、いや、楽しさだけ感じる事ができない。授業をしながら、心の中では毎日泣いていた。子ども達の笑顔とは裏腹に…

つらかった

担任をしてた事もあり、授業後は自分の教室の掃除をする。当初はそれが楽しみだった。子どもたちとの壁が無く、素の自分で会話できるからだ。ゲームの話から家族の話まで、色々な表情を子ども達が見せてくれる瞬間。そんな楽しみも私からは無くなっていた。
その後、部活動があり、大好きなバスケットが待っているのにも関わらず、足取りが重い。
教師の仕事は、部活動が終わって子ども達が帰ってからが本番と言っても過言ではない。
次の日の授業の準備をし、生徒の1日の様子を家庭連絡し、その日起きた問題には会議を開き、対応策を決める。課題作成や小テストの丸つけがあったり、デイリーライフを見直したり…仕事に終わりはない。でも、それなりにやり甲斐は感じていたし、夢をやっと叶えた私にとっては、何よりモチベーションが高かった。

その気持ちも欠落してしまった…

毎日薬を飲んでは、定期的に仕事帰りに通院し、回復を信じた。しかし、どんどん薬は増えていった。


つづく